
前回、マウントを取りたがる人や自慢ばかりする人は、心に何か問題を抱えているという話をしたけど、そういった人は他人から何か批判的なことを言われるとダメージを受けてしまったり、逆ギレして感情的になったりと、精神的に弱い人が多いように思う。そういった心の弱さの裏返しとして、自分が優位な立場になろうと必死になっているんだろうね。今日はそういった人にならないためにどうしたらいいか、またすでに精神的に弱いことを自覚している人がその弱さから抜け出すにはどうしたらいいかを考えてみようと思う。
誰も下には見られたくない

誰でも他人から下に見られたり、バカにされたりしたら嫌な気持ちになる。当たり前のことだと思うだろうけど、なぜそうなのかちょっと考えてみよう。
人間は霊長類の仲間で社会的な動物だ。そういった動物の社会では上下関係が存在する。サルにおいては社会の順位が低くなると、エサが確保できなかったり、立場が上のサルから攻撃を受けることもある。エサがあっても、近くに自分より順位の高いサルがいたら攻撃されるかもしれないから、周りに自分より上のサルがいないか気にする必要がある。だから、周りの個体と比較して自分がどの順位にいるかということは霊長類にとってとても重要なことなんだ。だから霊長類には、社会の中で他の個体との上下関係を気にするという心のはたらきが遺伝子のレベルで刻み込まれているんじゃないかと思う。もちろん、現代の人間社会においては社会的に下の立場になったからといってすぐに生存が脅かされるわけじゃないけど、今のような豊かな生活ができるようになったのは人間の歴史の中でもほんの100年ほどだから、遺伝子の変化が追い付いていないんだろうね。
人間は誰も他人より優位に立ちたいという心理があるとして、人によって傷つきやすい人とそうでない人がいるのはなぜだろうか?その違いはどこから来るのだろう?父さんは、自分なりの価値観を見出したかどうかがカギだと思っているんだけど、それについてこれから説明しよう。
他人の価値観を背負っている人は精神的に弱い

これは父さんの考えだけど、傷つきやすい人というのは親や社会の価値基準をそのまま信じて生きている人が多いように思う。逆に傷つきにくい、精神的に強い人は成長するなかで自分の中に独自の価値基準を作り上げている人が多いように思う。前者は他人の価値観で生きているのに対して、後者は自分の価値観で生きていると言ってもいい。じゃあなんで他人の価値観で生きていると傷つきやすくなるのだろうか?
傷つきやすい人というのは、他人からの評価を気にし過ぎている。他人から何か批判的なことを言われたり、低い評価を受けると、自分の人格を否定されたかのように感じる。もちろん他人からの評価が全く気にならないという人は珍しいし、誰でも否定的なことを言われたら多少は傷つくものだよ。でも自分のなかで確固たる価値基準があれば、他人から違う意見を言われても、他人は他人だから違って当然と気にせずスルーできる。自分のなかで確固とした価値基準を持っていることは自信につながるから、他人に何か言われても動じないんだ。じゃあ、自分独自の価値基準を持つ人とそうでない人の違いはなんだろうか?
それは精神的に親から独立できているかどうかだと思う。反抗期がない子供は大人になったとき、心の問題を抱えやすいと言われているけど、それは反抗期というのが自分の価値基準を作り上げるための期間で、それがないということはまだ自分自身の価値基準が確立できていないからなんだ。子供のころは親の価値観をそのまま受け入れていたけど、中学生くらいになると、親の価値観とは違う価値観を求めるようになる。それが反抗期だ。それまで信じていた価値基準をいったん壊して、新たに自分なりの価値基準を作り上げているんだ。親からすると大変だけど、反抗期があるのは自然なことだし、子供の成長には必要なものだ。
でも親が厳しすぎたり、性格的に親に反抗することができない子供は、反抗期を迎えることができず、いつまでも親の価値基準に従ってしまう。おそらく親に反抗することなく大人になった人は、未だに親の価値観を信じ込んでいて、その基準で優れていないとダメだという思い込みがあるのだろう。その基準で誰かより上でないと不安だから、マウントを取ろうとする。こういった人たちが精神的に弱い人なんだと思う。
精神的な弱さを克服するには

子供のころは親の価値基準を絶対的なものと感じていても、成長とともに多様な価値観があることに気づく。とくに、学校に通っているうちはテストの点や偏差値といった基準で順位をつけられることが多いけど、社会に出ると価値の軸が多様化する。数字には弱いけど文章は得意だとか、仕事が遅いけど丁寧だとか、パソコンはできないけど誰とでも仲良くなれるとか、時間にはルーズだけど爆発的な集中力を発揮できるとか、人によって得意なことと苦手なことがある。「あいつは〇〇はダメだけど、△△はすごいよな」といった感じで、ある基準では優れているけど違う基準ではそうでないということが出てくる。このように社会に出るといろんな能力が評価の軸になり、序列の基準・尺度が無限に広がるんだ。その結果、1つの軸で序列を作ることができなくなって、序列が不明になるし、序列を作ることが無意味になる。
だけど親の価値基準を引きずっていて、学生時代にうまくやっていた人の中には、いつまでも年収や肩書、学歴などで無理やり順位づけしようとする人がいる。学歴マウントする人は学校の勉強ではうまくやっていたけど、社会に出て今の立場ではうまくいっていないから過去の業績を持ち出してきて有意な立場に立とうとするわけだ。
でも社会での仕事というのは多くの人が協力して行うもので、誰も一人の力で何かを成し遂げることはできない。人によって得意不得意があって、誰に何を頼めばいいかという判断が必要になる。だから、いつまでも親や世間一般の価値観に縛られて他人との上下関係や勝ち負けにこだわるのは意味がないし、そのようなことにいつまでもこだわっている人は他人から押し付けられた価値基準にしがみついている精神的に独立できていない未熟な人だと思っていい。サヤカとシュンには人間関係は勝ち負けじゃないんだということをぜひ覚えておいてほしい。
一方、自分独自の価値基準を確立して精神的に健全に育った人は、他人との序列は気にしない人が多い。人によって得意・不得意があるだけと思っている。自分とは違う価値観を持つ人でも、「他人は他人、違って当然」とお互いを認めることができる。だから精神的に強くなるには多様な価値観を認められるかどうかがカギだと思う。自分独自の価値基準で生き、同時に自分とは違う価値基準をもつ他人も認めることができる。そういった人は、他人とのあいだで協力関係を作ることができて、他人から頼られるし、他者貢献ができる。それによって社会のなかで自分の居場所が出来上がる。社会での立ち位置が安定すれば、それが自分の存在価値を信じられることにつながり、精神的にも安定して強くなれるんだ。
まとめ
他人より上の立場になろうと強がるんじゃなくて、自分の弱点を認めて誰かに助けてもらうというのも“強さ”の一部なんだ。サヤカとシュンには自分なりの価値基準を見つけて、自分とは違う価値基準を持つ人とも共存できるような人になってもらいたいと思っている。
今日の話はこれでおしまい。じゃあ、またね。
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