前回、原因と結果の関係は単純ではないという話をしたよね。今日はそれに関係することで、「後悔するのはムダ」という話をしようと思う。

人は何か不本意なことが起こると「あのとき、ああしておけばよかった」と後悔してしまう生き物だ。例えばレストランで2つのメニューから1つを選んだけど、選んだものがそれほどおいしくなければ「あっちを選べばよかった」と思うだろう。他にも、学校から重要な通知があったのにそれに気付かずに先生に怒られたとしたら、「ちゃんと通知を見ておけばよかった」と過去の行動を後悔する。

後悔する気持ちが起こるとき、過去の行動や出来事を別のものに置き換える心の働きが起こっている。この例で言えば「別のメニューを選ぶ」や「通知を見ておく」といった過去の自分の行動を、別の行動に置き換えているわけだ。このように、過去の出来事を別の出来事に置き換えて、その場合どうなったかを考えることを反実仮想的思考という。「もし〇〇していたら××になっただろう」という誰もがよくやる思考で、実際に起こったこととは違うことを想像することだ。

ここで今日の話で父さんが言いたいことを端的に言っておこう。それは

  1. 反実仮想的な思考内容は、実際には起こりえないこと(つまり単なる勘違いだ)
  2. いつまでも反実仮想的な思考ばかりしていること(=後悔)は時間のムダ

という2点だ。

後悔は“勘違い”が生み出す

1点目について説明していこう。前回、物事の因果関係はネットワークのようにつながっていて、1つの事象が別の事象の結果になるといった単純なものではないと言ったよね。後悔の気持ちが起こっているときにやっているのは、ある事象(自分の行動や判断)を独立したパーツのように扱って、それを別のものに置き換えているわけだけど、そういったことができると思うのが勘違いなんだ。パーツとして扱っているその自分の行動や判断も様々な条件(そのとき持っていた情報や自分の能力・経験、周りの状況など)から生み出されたもので、そのときその場にいたらそういった行動や判断しかできなかったんじゃないかと父さんは思うんだ。

物事の因果関係はネットワークとして複雑に絡み合っていて、ある時点においてある出来事はほぼ必然的に起こるというのが父さんの考えだ。それを「あのときの自分の行動や判断を別のものにできたのでは」と反実仮想的に考えてしまうのは、脳が作り出す幻想だと言ってもいい。

もちろんそれを証明しろと言われたら困るんだけど、逆も然りで、そのとき実際にやったのとは別の判断ができたということも証明できないだろう。そのとき他の選択肢も頭にあったんだと言うかもしれないけど、最終的にそれとは違う判断をしたのは事実だ。

父さんは、反実仮想的な思考というのは、人間が進化の過程で言語を獲得し、目の前にないものを「思考」できるようになった結果、身に付けた能力だと思っている。目の前にないものを「思考」する、つまり「想像」するという能力を身に付けたおかげで、人類は劇的な進化を遂げたんだけど、その副作用として後悔する心の働きも生まれてしまったんじゃないのかなと思う。

“後悔”するのはムダ

過去の出来事は変えられないわけだから、いつまでも過去に行った自分の行動や判断を悔やんでいても何も始まらない。

ただ後悔することに意味があるケースもある。それは同じようなことが将来起こる可能性が高い場合で、次に同じようなことが起こった時、どうすればいいか対処法を事前に考えておけば、将来より良い選択ができるだろう。逆に言うと、もしこの先、同じようなことが起こる可能性が極めて低いなら、後悔は全くのムダで、その出来事は忘れてしまったほうがいいということだ。

反実仮想的な思考は未来に活かすべきもので、それを過去に向ける“後悔”という心の働きは人間の思考能力の誤った使い方なんだと思う。

さいごに

人生において失敗やミスなど不本意なことは数え切れないほど起こる。そんなとき後ろ向きな心に囚われないで、前向きに生きていってほしいというのが今日、サヤカとシュンに伝えたかったことだ。失敗してもそれを将来に活かしてほしいし、それができないならきれいサッパリ忘れてしまったほうがいい。

今日の話はこれでおしまい。じゃあ、またね。