前回、言葉や生活様式が人の考え方や性格に影響するのではないかという話をしました。今日は、そもそも人間に心が生まれた理由について、言語ゲームの観点から考えてみたいと思います。
心とは何か?
「心とは何か」「人間以外の動物も心を持つのか」といった疑問に対して、昔から哲学や心理学、そして最近では神経科学の分野で盛んに議論されてきました。
「心」と似た意味の言葉に「意識」があります。「意識」とは外界からの刺激に対してすぐに反応できる度合いです。日常生活でいえば寝ているときは意識がありませんし、昼間活動しているときは意識があります。そういう意味では、多くの動物にも「意識」はあると考えられます。それに対して「心」とは自分に対する意識であり、そもそも「自分」という概念を持っているかどうかと言うことができます。
動物にも「心(自己意識)」があるかどうかを検査する実験に、心理学者のゴードン・ギャラップJr.が開発した「鏡像自己認知テスト(ミラーテスト)」というものがあります。このテストでは、まず動物に麻酔をかけて通常は自分で見ることができない体の部位(耳など)に塗料でマークを付けます。麻酔から覚めた動物を鏡のある環境に移した時、その動物がマークのついている体の部位を触れたり、調べるなどすれば、その動物は鏡に映った像を自分自身であると認識していると考えられるため、自己意識を持っていると判断されます。この実験によると、チンパンジーやイルカ、ゾウはこのテストをパスすることが知られています。一方、犬や猫はこのテストをパスしません。このことから一部の動物も「心」を持っていると言えるかと思います。
とは言っても、人間のもつ「心」と動物の「心」が全く同じものとは限りません。むしろ違うと考えるほうが自然な気がします(※1)。人間と他の動物で一番大きな違いは言語を持っているかどうかです。これまでチンパンジーなどの動物に言語を教える試みは行われてきましたが、簡単な文の作成はできても、人間が使うような複雑な言語を教えることには成功していません。言語の有無が人と動物の心の在り方に大きな違いを生んでいると考えるのは自然なことのように思います。
※1 そもそも「心」という概念はあいまいなもので、「同じ心」とはどういうことかすら定義することができません。人間同士でも「同じ心」があるのでしょうか?同じ人でもあっても怒っているときと冷静なときでは「心」の状態は違うはずです。これは本来違うものを同じ言葉を当てはめることであたかも“同じもの”が存在するかのように錯覚させる言葉の“マジック”と言えそうです。
人間は無意識のうちに特定のルールに従って生活をしており、それが言語の意味を支えているというのが言語ゲームの考えだという説明は以前に行いました。これから、この言語ゲームが人間の心とどのように関係しているかを考えていきます。
言語ゲームに参加することが「心」を持つことの条件
まず人間は心を生得的にもっているのかどうかを考えてみたいと思います。先に結論から言うと、この問いに対して私は否定的な考えを持っています。つまり「心」は生まれた後、特定の条件を満たさなければ生じないものであり、その条件とは言語ゲームへの参加だというのが私の考えです。
言語ゲームへの参加が心の獲得に必要な条件であるという考えを支える証拠に「アヴァロンの野生児」と呼ばれる歴史的な事例があります。これは18世紀の終わりごろに南フランスのアヴァロン地域で発見、捕獲された少年(野生児)のことです。この少年は森の中で裸の状態で捕らえられましたが、言葉をしゃべることはできず、動物に似たような行動をする異常な少年だったそうです。捕獲された当時12歳程度だったそうですが、小さいときにアルコール依存症の親に捨てられた後、森の中で一人、生活していたと考えられています。保護後、養育院で言葉の教育などが試みられますが、結局、言葉を獲得することはできず、異常な行動もなくなることなく、他人とまともな関係を築くことができなかったといいます。言語の獲得には臨界期があることが知られています。人間の脳は発達において、特定の能力を獲得するためには適切な時期が決まっており、その時期を過ぎるとその能力を獲得するのが難しくなることが知られています。野生児であったその子も臨界期を過ぎていたため、言語の獲得ができなかったのだと思われます。
アヴァロンの野生児の事例は、人は生まれて成長するだけでは心は生まれないということを示しているように思います。ほとんどの人間は、ある家庭に生まれ、その国の言葉を習得します。つまり親やその他の大人、兄、姉など先に生まれていた人間が行っている言語ゲームの環境に産み落とされるわけです。その環境で成長するなかで、特定のルールに沿って行動するように学習していきます。生まれた場所の文化、そのルールに盲目的に従うようになること、これが「言語ゲームに参加する」ということ(※2)であり、人が心(自意識)を持つための要件だと私は思うのです。
※2 誤解を恐れずに言えば、人は生まれた段階で生物学的なヒト(ホモサピエンス)ですが、「人間」ではありません。「人間」とは人と人との間と書くように、ヒトは他者とのつながり(ネットワーク)の中に入ってはじめて「人間」となるのだと思います。
「心」は人と人とのネットワークの中に生まれる
人の「心」が生じるためには言語ゲームに参加することが条件だとすれば、言語ゲーム自体が複数の人間を必要とするものですので、人の「心」は個人単独では生じないということになります。私は人の「心」は人と人とのネットワークの中から生じると考えています。このことを説明するために、例えとして「お金の価値はどのようにして生まれるのか」を考えてみましょう。
誰もがお金には価値があると思っているはずですが、「なぜお金に価値があるのか」ということを普段、考えたことがある人はそれほど多くないと思います。「(お金に価値があるのは)当たり前だろう」だと思う人もいるかもしれませんが、その理由をちゃんと説明できるでしょうか?
まずはっきりさせておかないといけないのは、お金(紙幣や硬貨)自体に価値があるわけではないということです。そう聞いて驚くでしょうか?日本の1万円札は精巧に作られていますがそれを作るのに1万円のコストはかかっていません。やはり1万円札は単なる紙切れなのです。人がお金に価値を感じるのは、それを使って物やサービスを購入することができるからです。別の何か価値があるものと交換できるからお金に価値を感じているわけです。たとえば食べ物は生きていくために必要ですので当然価値はあります。住居や自動車は快適な暮らし、ブランドの服やアクセサリは社会的なステータス、映画やアニメなどは面白さ、というように「快」の感情を与えてくれるものに人間は価値を感じます。それらを得るために通常、お金を使うわけです。だから極端な話、無人島に漂着するなどして、お金を何とも交換できない状況になってしまうと、お金の価値はなくなります。
このように、お金自体に価値があるわけではなく、何か別の価値があるものと交換できると人々が信じ込んでいることがお金の価値を生み出しているわけです。では、なぜそのように信じ込んでいるかというと、日々の生活において、実際にお金を使って物やサービスとの交換をしているからであって、そのような日常生活(生活様式)自体が「お金には価値がある」という信念を支えているのです。これは「お金というトークンを使って物やサービスと交換できる」というルールの言語ゲームをしていると言い換えることもできます。だからお金に価値が生まれるためには言語ゲームが必要となります。言い方を変えれば人と人とのネットワークの中にお金の価値(という意味)が生まれるのです。言語ゲームは複数の人を必要とするものであり、1人では行うことはできません。それは自分で作成した“1000万円札”(偽札)に価値を感じることができないことを考えたら当然でしょう。どんなにそれ(偽札)に価値があると信じこもうとしても無理があるのです(※3)。
※3 逆に世界中の富豪がその偽札を1000万円払ってでも欲しいと言えば、あなたもそれに価値があると感じるようになるでしょう。
前置きが長くなりましたが、「心」というのはこのお金の価値と同じような側面があると思います。通常、一人一人の人間が固有の「心」を持っていると思っているはずです。科学的にはそれぞれの人の脳が「心」を生み出しているというのが現代で一般的に受け入れられている説明でしょう。でも私はこれが違うと思うのです。「心」がある特定の個人から生じるというのは、紙幣そのものが価値を持つと言っているのと同じように思います。「心」とはそういうものではなく、人々が皆、互いに「心」があると思い込んでいるから、自分にも「心」があると信じ込むようになっているのではないかと私は考えています(※4)。私には「心」があって同じような「心」を持っている他者が互いに社会の中で関係しているというルール(思い込み)の言語ゲームの中で「心」は生み出されるものだということです (※5)。これが人の「心」が人と人のネットワークの中に生まれるということであり、人の「心」が生じるためには言語ゲームに参加することが必要条件だという考えにつながるのです。
※4 この説明だとトートロジー的になっているので、もう少し詳しく説明します。それぞれの人は独立して自律的に行動しており、その行動の裏には外からは分からない「心」というものがあって、それが思考や判断をし、行動という形で外に現れてくる。そういう考えが人々の間で共有された“常識”となっているわけですが、そのことによって脳が自分の雑多で捉えどころがない内的な状態をまとめて「心」と認識しているというわけです。
※5 「心(=自己意識)」の状態の1つに「自信」があります。この自信も人と人とのネットワークの中から生まれると考えられます。つまり他者からの承認があって自信という感情が生まれるのです。もちろん中には他人からの評価に左右されない絶対的な自信を持っている人もいますが、どんな人であれ最初は他者からの承認があったはずです。他人から認めてもらったことによる小さな自信から、自分で自分を信じられるようになったわけで、全く他人からの承認なしに自信を作り上げることは不可能ではないかと思います。つまり自信(=自分の価値を信じること)も他人とのネットワークの中でしか生まれないということです。
その5に続く
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