前回、ウィトゲンシュタインの言語ゲームについてまとめをしました。今回は引き続き、言語ゲームと心の関係についてまとめていきたいと思います。
言葉の違いは文化の違い
生活する上で必要性が高いものに関する言葉は発展しやすいため、どのような生活をしているか(生活様式、文化)が言葉に反映されます。日本では主食であるコメに関して(収穫前は“稲”、収穫後は“米”、食べられる状態になったら“ご飯”など)様々な言い回しがあるのも、この理由によるものでしょう。また専門家が細かい分類を知っているのも、そうした知識が仕事上必要だからです。
また時代とともに新しい言葉ができるのは、人の生活様式が変化していくからです。特にテクノロジーの進歩によって、これまでにないものが出てくると、それに伴って新しい言葉が出てきます。数十年前まではインターネットやSNSといった言葉はありませんでしたし、さらに昔は自動車やテレビといった言葉がなかった時代もあったわけです。
また世代間のズレが問題にされることがありますが、若い人は新しいものに敏感で、新しい文化を生み出し続けています。それが「若者言葉」と呼ばれる若者にしか通じない言葉に反映されるわけです。若者文化のターンオーバー(誕生から消失まで)は短い場合が多いので、頭の固い大人から見ると「流行にながされる」「持続性がない」「移り気」「根性がない」といったネガティブな感じを抱いたり、「言葉が乱れている」といって若者を批判しますが、新しい言葉をどんどんと生み出す若い人こそが新しい時代を作り出しているのです。
このように生活様式の違いが言葉を決めていると考えられます。また生活様式の変化に伴い言葉も変わっていくものなのです。
言語ゲームが人の性格に影響を与える
国や文化の違いによって生活様式が異なるので、常識や価値観も異なります。それは国によって異なるルールの言語ゲームをしているにだと解釈することができます。
欧米は自己主張するのが“良し”とされる文化で、年上だろうが先生だろうが、自分の意見を主張するのが当然と考えます。それに対して日本は謙虚で、年上・目上の人には逆らわないのが“良し”とされます。そういった全く違う文化で育てられると、何が“正しく”て何が“間違っている”のかという常識も違ってきます。帰国子女が日本の学校になじめないのも、こういった文化の違いが原因という側面があるのでしょう。
長年、ある文化の中で生活していると、その文化で”良し”とされる価値観を身に付けることになります。当然、その価値観に沿った判断や行動を取るようになると考えられます。これがどういうことかというと、アメリカのように外向的であることが“良し”とされる文化では、外向的な人はより外向的になり、内向的な人でも外向的な行動を取るようになる結果、全体的に外向的である人が増えるということです。当然、アメリカにも内向的な人はいますが、そのような人でさえ、日本のような謙虚さを重んじる文化で成長した場合と比べて、外向的な傾向を持つようになると考えられます。簡単に言えば、文化(=言語ゲーム)が人の性格に影響を及ぼすわけです。
これに関連してサピア・ウォーフ仮説という言語学における仮説を紹介します。この仮説は「言語はその言葉を使う人の世界観の形成に関与する」というもので、「言語が思考は言語に規定される」という“強い仮説”(言語決定論)と、「概念の範疇化は言語・文化によって異なる(それに伴い、言語が思考に何らかの影響を与える)」という“弱い仮説”(言語相対論)があります。これまでのところ“強い仮説”に対しては否定的な意見も多くありますが、少なくとも“弱い仮説”を支持するデータはいくつもあります。たとえば日本語では物を壊す表現に「折る」「切る」「割る」「破く」「壊す」「崩す」と様々な言い方がありますが、これらは対象物の形状(細長い・平面・立体)と柔軟性(柔らかい・固い)によって無意識のうちに使い分けられています†1。一方、英語ではこれらの多くは「break」と表現します。このように言葉はそれを使う人の考え方に少なからず影響を及ぼすのは確かなようです。
†1 つまり
参照:https://liberal-arts-guide.com/sapir-whorf-hypothesis/
・細くて硬い物(鉛筆など)は「折る」
・細くて柔らかい物(ひもなど)は「切る」
・平面の硬い物(ガラスなど)は「割る」
・平面の柔らかい物(紙など)は「破く」
・立体の硬い物(テレビなど)は「壊す」
・立体の柔らかい物(砂山など)は「崩す」
と表現されます。
以上のことから考えられることは、その人の性格だと考えられているものは、その人の生まれ持った気質だけではなく、その人が従っている言語ゲーム(育った文化や言葉そのもの)によるものが多く含まれているのではないかということです。
さらに言えば、何となく気が合わない人や性格が合わない人というのは、その人個人の気質の問題だけでなく、違うルールの(言語)ゲームをしているからだという説明の仕方もできるのではないかと私は思います。
その4に続く
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