人間は、何か悪い出来事(結果)が起こると、その原因を探りたいという気持ちになるものです。なかには何でもかんでも他人が悪いと考える他罰的な考えをもつ人がいますが、そのような考え方は自分も周りの人も不幸にしていまいます。これは因果関係についての誤解から生じるものだと私は思います。実際、人間関係のトラブルや人生の問題の多くも、間違った因果関係に執着してしまうことから起こるように思います。今日は人間が因果関係をどのように考えているのかについて話をしてみたいと思います。

原因は1つに決まらない

18世紀のイギリスの哲学者デイヴィッド・ヒュームは因果関係について以下のようなことを言っています。

  • 一般に因果関係といわれる二つの出来事のつながりは、ある出来事と別の出来事とが繋がって起こることを人間が繰り返し体験的に理解する中で習慣によって、観察者の中に「因果」が成立しているだけである。
  • 過去の現実と未来の出来事の間に必然的(must)な関係はありえず、あくまで人間の側で勝手に作ったものにすぎないのである。
  • では「原因」と「結果」と言われるものを繋いでいるのは何か。それは、経験に基づいて未来を推測する、という心理的な習慣である。

つまりヒュームは、因果関係というのは人間が世界を見るときに勝手に見出してしまうものだと言っているわけです。

しかし何事にも因果関係を見出してしまうのが人間の性質で、多くの人はそれを当たり前と思っているから、ヒュームの考え方をすんなりと受け入れるのは難しいかもしれません。でもよく考えてみると何かの原因と考えているものは実はあいまいなものであることに気付きます。

たとえば朝、いつものように電車で仕事に行こうとしたら、駅には修学旅行の学生がいっぱいいて混雑していたため電車に乗り遅れ、仕事も遅刻した場合を考えてみましょう。おそらくその人は「修学旅行の学生のせいで遅刻した」とか「ちゃんと整列させていなかった学校の先生が悪い」と感じて、これらを遅刻の原因と考えるでしょう。少なくとも自分が悪いとは思わないはずです。

でも遅刻の原因はその”修学旅行の学生がいたこと”だけなのでしょうか?その人がある会社に就職し、電車で通勤しないといけない場所に住み始めたということも原因に含まれるはずです。究極的な話、宇宙にビッグバンが起こって、地球が誕生し、人類が生まれ、日本という国で今の時代にその人が生まれたことも原因の一部であるはずです。でも、そんなことを原因と考える人はいないし、これらが原因だと言ったら多くの人は「屁理屈」だと思うでしょう。たしかに上に挙げた”原因”は「屁理屈」かもしれませんが、私がここで言いたいことは、少なくともある事象の原因は1つに決まらないということです。

ある現象が起こるとき、その背後にはネットワークのようにつながった無数の前提条件があります。そして世の中の事象に単一の因果関係はなく、様々な現象が複雑に絡み合って起こっています。私たちが日常生活で何かをある事象の原因と考えるのは、そのネットワークの一部を切り取って、無理矢理、因果関係を見出しているに過ぎないのです。もちろん事象間には「強いつながり」と「弱いつながり」はあって、そのうち「強いつながり」を私たちは“因果関係”として捉えているわけですが、それでもやはり様々な事象がネットワークとして互いに関連していることには違いありません。

全ての出来事を成長の糧にする

ある現象に単一の原因を求めることはできないことを理解してもらえたところで、本題に入りたいと思います。

どう考えても相手が悪いとしか思えない出来事もあるでしょう。そのようなとき相手を罰したいという衝動に駆られてしまうのは心の自然な反応のように思えます。それでも他人に原因を求め、相手を罰することに捉われてしまうのは避けるべきだと思います。

その理由としては以下のようなものを挙げることができます。

  • 他罰的な人の近くには誰も近寄りたくないので、手助けしてくれる人はもちろん、有益な情報も集まらなくなるので、ますまず不利な状況に陥り、人生がうまくいかなくなります。
  • いつまでも他人に対してネガティブな感情を持ち続けているのは、時間の無駄だし、精神衛生上も良くありません。もしどんなに考えても、自分には落ち度がない、改善するところがないのなら、さっさとその出来事は忘れてしまったほうがいいでしょう。
  • また相手に非があるとしても、相手を罰するのではなく、同じことが起こらないようなシステムを考えるほうが有益です。

相手を罰することに捉われるないで生きるためには、常に自分が成長するきっかけを見つけるように心がけることです。何かうまくいかないことがあってもそこから何かを学ぶこと、自分が変えられることだけに注目することだと思います。

さっきの仕事に遅刻した人の例で言えば、「相手(修学旅行の学生や学校の教師)が悪い」で終わったら嫌な気分が残るだけですが、来年の同じ時期にも同じことがあるかもしれないから少し早めに出勤するようにしようとか、もっと職場に近いところに引っ越そうと思えたなら、将来の行動を変えることができます。仕事に遅刻したというネガティブな経験を自分の行動変化に活かせるわけです。「成長=良い変化」ですから、たとえ嫌な気分を経験した出来事でも、それをきっかけに自分の行動を変えることができたならネガティブに思えた出来事にプラスの意味を持たせることができます。

このように、どんな出来事にも自分を成長させる種があるものです。それを見つけて、自分を改善することを目指す“転んでもただは起きない”という精神を持つことが、人生では重要なことだと私は思います。

さいごに

先日、最終回を迎えたNHK連続テレビ小説「Come Come Everybody」では、”日向(ひなた)の道(On The Sunny Side Of The Street)を歩いていく”ことが全体を通してのテーマでした。戦争という自分には責任のない災難や、近しい人の間に生じたすれ違いや誤解による別れなど、様々な困難に見舞われながらも前を向いて生きていく3人のヒロインの話です。前を向いて生きていればいつか分かり合える。自分を変え、成長し、前を向いて生きて生きることの大切さを教えてくれる素晴らしいドラマでした。

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