サヤカ、シュン、普段から言葉遣いには気を付けるように言っているよね。「言霊」と言われるように、言葉にはとても大きな力があるんだ。日常どんな言葉を使っているかによって行動にも影響が出てくる。たとえば「無理」とか「最悪」「嫌い」といったネガティブな言葉ばかり使っていたら、失敗を恐れたり挑戦しない態度が身についてしまう。そういったネガティブな言葉を使っている人のそばには、同じようにネガティブなことばかり考える人しか集まらないから、悪い運を引き寄せることにもなる。だから日ごろ使う言葉には注意が必要だ。今日はそういった注意が必要な言葉遣いの中で「頭が悪くなる言葉」について話そうと思う。

便利な言葉

頭が悪くなる言葉の1つ目は「便利な言葉」だ。「便利な言葉」が何であるかを説明するために1つエピソードを紹介しよう。昔見たスポーツニュースの話なんだけど、プロ野球の試合で敗戦投手になった選手が「どこがダメでしたか?」という記者からの質問に対して「すべてがダメでした」と答えていた。この「すべて」というのが「便利な言葉」だ。調子が悪い原因にはいくつもの要因が考えられるし、その要因全てが同じ重要度なわけではなくむしろ違っているはずだ。それなのに、それをひとくくりにして「すべて」という言葉で済ませているわけだ。「すべてダメだった」と全面的に自分の責任を認めることは一見、謙虚に反省しているように見えるけど、「すべてダメだった」と答えることと「何がダメだった」と具体的に答えることには大きな違いがある。「すべてダメだった」という答えは本当に何が悪かったのか分かっていなくても答えられるんだ。もちろん記者の質問に答えるのが面倒なので軽くあしらっただけかもしれないけど、その後そのピッチャーが鳴かず飛ばずで引退したのを見ると、きちんと自己分析できていなかったんじゃないかと今でも思っている。

似たような言葉に「みんなが言っている」とか「いろいろ考えている」というのがある。サヤカとシュンもよく使ってるよね。「みんな」とは誰のことで全部で何人なのだろうか?実際には4、5人だけということもある。「いろいろ考えている」というのも、”具体的な内容まですぐに言葉で出てこない程度にしか考えていない”ということかもしれない。このような言葉は、具体的な内容に言及することなく、ぼやかして使うことができる便利な言葉だけど、そればかり使っていると深く考えることがなくなるから結果的に頭が悪くなると思う。

定義があいまいな言葉

「このプロジェクトのコンセプトは、未来を担う子供たちへのインヘリタンスです」

「このミーティングのアジェンダは、3つのコンポーネントからなります」

大手企業の勢いがある若手社員が会議で言いそうな発言だけど、言っている意味が分かるだろうか?最近、政治家の発言もそうだけど、不必要に横文字を使った発言が増えているように思う。中には「本当に意味が分かって使ってるのかな?」と疑問を感じる発言も結構ある。実際、聞こえがカッコイイからカタカナ言葉を使っている人も多いんじゃないかな。聞いている側も、その言葉の意味を知らないと思われるのが恥ずかしいから指摘しないこともあり、結果として中身のない会話が繰り広げられることになる。

カタカタ言葉に限らず、その意味を理解していない言葉は安易に使うべきじゃないと思う。使っていいかどうかの判断基準は、その言葉の意味を説明できるか、また別の言葉で言い換えできるかどうかだろう。言いたいことを相手に伝える意図があるのなら、誰もが理解できる言葉を使うようにするはずだ。そうでないなら自己満足するだけで、相手への配慮ができない“頭が悪い”人だと言える。

ステレオタイプ的な言葉

ステレオタイプ的な言葉も頭が悪くなる言葉だと思う。ステレオタイプとは「型にはまった定番のもの」という意味だ。「ネットの情報は信用できない」といった一般論や、「中国人は傲慢だ」といった発言はその典型例だろう。「ネットには信用できない情報も含まれている」や「どこの国にも傲慢な人はいる」といった表現・認識のほうが実際には正確だろう。

また優れた能力を持っている人に対して「あの人は天才だから」なんて安易な説明を持ち出すのもその例だと思う。「どうしてそのようなことができるのか?」「最初からできたのか?」「いつからそれを始めたのか?」「どんな訓練をしているのか?」といったことを調べることなく「天才」という一言で済ませてしまっているからだ。

他にも、自分の考えの正しさを証明することなく「○○は常識だ」といって自分の考えを押し通そうとすることもこれに当てはまるかもしれない。常識とは多くの場合、自分に都合のいいルールのことだ。「日本の常識は世界では非常識」と言われるように、文化が違えば「常識」も異なる。“常識”を理由に自分の正しさを証明しようとすることは、深く考えることを放棄しているのと同じだと思う。

立場を笠に着た発言

以前、若者から子供のことを注意された人が「子供もいないのに何が分かる」と反論している場面を見たことがある。他にも「男に女の何が分かるの」とか「結婚もしていないのに夫婦の問題は分からない」といった発言も似たようなものだ。これらの発言は、すぐに変わりようがないその人固有の性質(性別)や状況(独身)を理由に相手を否定するものだ。たしかに性別が違ったり、子供がいないと分からないこともあるだろう。でも、こういった発言は単に相手を拒絶するための便利な言葉として使われている。相手の発言内容の是非を考えることなく、頭を使わないで反論できる、楽な方法なんだ。こういった発言をする人は頭を使って考えていないと思っていいだろう。子供の問題にしても男女の問題にしても、多くの場合、性別や立場を超えて議論できる余地はたくさんあるものだ。それを相手の性質や立場を問題にして門前払いするのは“頭の悪い”人間がすることだと思う。

他罰的な言葉

何か悪いことが起こった時に、「あいつが悪い」とか「あの人のせいだ」といった他人や周りの状況に原因を求める言動も“頭が悪くなる”ことにつながる。というのも他人が悪いと言うのは「自分は悪くない」という心理の裏返しであって、「自分が悪くない」のなら自分は何も変わる必要がないと無意識のうちに思い込んでいるわけだ。自ら変わろうとしない人は、当然、能力としても人間としても成長することがない。結果として“頭が悪い”状態にとどまることになる。以前も言ったように、悪い出来事の原因を他人に求めるのではなく、自分に何ができるかを考えよう。

まとめ

今日は5種類の“頭が悪くなる”言葉を挙げたけど、どれも誰もが知らず知らずのうちに使っている言葉だと思う。これらの言葉に共通して言えることは、深く考えなくても広い場面で何となく使えてしまう言葉ということだろう。こういったいろいろな状況で使える便利な言葉を使いすぎる一番の問題は、分かった気になってそこで思考が止まってしまうこと、さらに偏見が生まれたりそれを是正する機会を失ってしまうことだと思う。その結果、“頭が悪くなる”わけだ。

「便利な言葉」を全く使わないようにするのは難しいけど、意識的に「分かったつもりになってないか」「もっと掘り下げて考えることができないか」と気を付けることは大切だ。父さん自身も、このブログでいろいろ発言するなかで気を付けないといけないなと思っている(あっ、「いろいろ」って使ってる!!)。