
前回、自分の人生には責任を持たないといけないという話をしたよね。その中で「他人を責めても変えることはできない」と言ったけど、今日はそのことについてもう少し詳しく話をしようと思う。
本当に「他人を変えることはできない」?

「他人を変えることはできない」と言うと、「説得によって変わることもあるよ」「上の立場の人から命令されたら、変わらざるを得ないんじゃない?」といった意見が出てくると思う。
たしかに他人からの働きかけによって表面上は人の行動が変化する場面はあると思う。「表面上は」と言った理由は、行動が変わっても心の中では変わっていない可能性もあるからだ。特に上の立場の人から命令された場合は、とりあえず従っているだけということもよくあるだろう。「他人を変えることはできない」と言ったときに「変わる」が意味するのは、心から納得して変化している場合のことを指しているので、表面だけ従っている場合は「変わった」ということにはならない。
では誰かから説得された結果、心から納得して変わることはないのだろうか?他人から言われたことが心に突き刺さって、それまでの考えや行動を改めることは、頻繁に起こることではないにしろ、あり得ることだと父さんは思う。このことについて少し説明しよう。
人が変わるのはどういうとき?

説得によって相手が変わるのは、「このままじゃいけない」といった問題意識や、「こうなりたい」といった気持ちが相手の中にすでにあるなど、変わる準備ができているときにタイミングよく説得されたというケースが多いのではないだろうか。逆に言うと、今の状況や自分の側に問題があると相手が認識していなければ(つまり相手が変わるタイミングでなければ)、どんなに説得や論破をしても相手は変わらないと思う。つまり、こちらからの働きかけによって相手が変わるかどうかは、相手の状態に依存する。そういう意味で、こちらがコントロールできるかたちで相手を変えることはできないと言える。
人間には成長のタイミングがあって、適切な時期でなければ他人からのアドバイスを受け入れられないものだ。このことは年齢を重ねて自分が成長することで本当に実感する。子供のころは親に小言を言われるたびに「うるさい!」と反発を感じていたけど、自分が親の立場になったときに、当時親がどんな気持ちでそれを言っていたのかようやく理解できるようになる。なんであのときは素直に聞けなかったんだろうと思うけど、そのときはそのアドバイスを受け入れる準備ができていなかったから仕方がないことなんだ。言われたアドバイスの内容がどんなに正しくても、それを受け入れる準備ができていなければ人間は変化しないだろう。
「相手を変える」は危険な考え

また、うまく説得すれば、他人を変えることができるだろうと考えることは危険な考えだ。人間関係でトラブルが起こったり、意見がぶつかり合ったとき、ほとんどの人は「自分が正しい」「相手が間違っている」という思考になりやすい。そして、相手が間違っているのだから「他人を変えてやろう」と考えてしまう。特に子供や部下、年下の人といった自分より下の立場にある(と思っている)人に対しては知らず知らずのうちにこういった思考に陥りがちなものだ。
「どうにかして相手を変えてやろう」と心のどこかでも思っていると、それが相手に伝わる。その結果、相手は防衛的になって、ますます自分の意見や立場に固執するようになってしまう。どんなにこちらが正しいことを論理的に説明したり、正論を言っても相手は変わらない。むしろ正論であればあるほど、相手は自分の負けを認めさせられるような感じになり反発する。だから説得や論破によって強制的に相手を変えさせようとしても無駄だし、多くの場合、人間関係が悪くなるだけだ。
「他人を変えることはできない」の本当の意味

「他人は変えられない」という人間関係におけるアドバイスは、それ自体が真実かどうかより、自分が心穏やかに暮らしていくための生きる知恵として重要なんだ。人間関係で対立が起こったとき、「相手の人生は相手のものなんだから、変わるかどうかは相手次第」と考えることで相手のことを自分の問題から切り離すことができる。
他人との衝突が起こったとき、相手を変えようとするのではなく、自分で変えられることだけを考えよう。そして前回説明したように、自分が変えられるのは自分の考えと行動だけだ。たとえば、相手への接し方や関わり方を変えたり、自分の見る視点や考え方そのものを変えてみる。また、どうしても合わない人とは距離を置く判断をするのも、自分でコントロールできることだと思う。
気が合わない相手とトラブルになったときは「なんであんな奴のために自分が変わらないといけないんだ」という怒りが湧き上がるかもしれない。でも人間関係は勝ち負けじゃなくて、自分が心穏やかに生きることが一番だ。そのためには相手を言い負かそうとしたり、自分の正しさを証明しようとしてはいけない。
それに自分が変わることは“負け”ではない。その変化が自分の成長につながるかもしれない(そもそも“成長”とは、自分にとって良いと感じられる“変化”のことだ)。そう考えれば、成長するきっかけをくれた相手に感謝することができるかもしれない。
気づきの種を撒くことはできる

じゃあ、他人に対して全く働きかけをしないのかといったらそうじゃない。特に大切だと思っている相手なら、なおさら何もしないではいられない気持ちはよく分かる。
そういうときは、「気づきの種をまくことはできる」と考えてみよう。最終的に変わるかどうかを決めるのは相手だけど、そのためのきっかけになるような話や情報を相手に与えることはできる。そしてそれによって「相手が変わったならラッキー」というくらいに考えておくことだ。別の言い方をすると「期待せずに待つ」ということかな。
父さんがこのブログを書いているのも、いつかサヤカとシュンが役に立つ情報が伝わればいいなと思っているからだ。ここには父さんの思いを書いているけど、内容について強制をしたいとは思っていない。父さんにとって良いと思っていることが、サヤカとシュンにとっても良いことかどうかは分からないからね。面と向かって言うとタイミングが違ったり、強く言って反発を招くこともあるから、ここにコッソリと書いているんだ。いつかこのブログを見て、内容に対してどう判断するかは二人に任せようと思う。
さいごに
「他人を変えることはできない」と思っておくと、ムダな労力やトラブルに悩まされなくなる。いい意味で他人に期待しないのは、自分が心穏やかに暮らすための生きる知恵なんだ。
今日の話はこれでおしまい。じゃあ、またね。


