
サヤカ、シュン、今日は哲学的な話をしようと思う。哲学というと小難しいイメージがあると思うけど、哲学は生きていく方向を指し示してくれる指針のようなものだから、とても大切なものだよ。
サヤカとシュンが大きくなって思春期を迎えたころ、もしかしたら「人生の意味」ってなんだろうと哲学的な疑問を持つようになるかもしれない。特に物事がうまくいかないときにそのような疑問を持つ人はよくいる。ひどい状態になると「なんで生きてるんだろう」と人生に絶望する人もいるけど、そうならないためにも人生の意味について立ち止まって考えてみるのはいいことだと思う。
人生に普遍的な意味はない

まず1つの結論を言うと人生に意味はないんだ。そう言うと「そんなことはない!」と拒否反応を示す人もいれば、「そんなの当たり前だよ」としたり顔で答える人もいるだろう。でも注意してほしい。「人生に意味はない」とは誰にでも当てはまるような“普遍的な”意味がないということで、「生きる価値はない」と言っているわけではないんだ。人生に唯一の正解はないと言い換えてもいい。逆に言うと、それぞれの人が自分に合った生き方をすればいいということだ。
こう言うと今度は「他人に迷惑をかけなければ何をしてもいい」と考える人が出てくる。でも父さんはこの考えが嫌いなんだ。気を付ければ他人に迷惑をかけずに生きられると思っている時点で傲慢だからだ。もちろん意図的に誰かに迷惑をかけることは避けられるだろうし、避けるべきだけど、生きていたら知らず知らずのうちに誰かに迷惑をかけているものだ。他人に迷惑をかけずに生きることは不可能だと思う。
それに「生きる意味」は、自分が周りの人やコミュニティから承認されたり、他者に貢献できていることを実感することで見出されるものなんだ。つまり人生の意味は他人とのかかわりの中で見つかるものだから「他人に迷惑をかけなければ何をしてもいい」といった他者のことを無視したり、他者とのかかわりを避けるような考え方は望ましくないんだ。
人は誰でも、他の誰かに助けられ、時には他の誰かを助けて生きているものなんだ。「お互い様」という言葉があるように、時には他人に迷惑をかけ、時には迷惑をかけられる。そういったことが分かっていない人は、他人から迷惑をかけられると憤って攻撃的になる。
他人に感謝しなさいとよく言われるけど、他人に感謝できる人は自分が知らず知らずのうちに誰かから助けられたり、迷惑をかけたことを許してもらっていることを分かっているんだと思うよ。人間がそのような「持ちつ持たれつ」「お互い様」の関係にあることを理解するのは大切だと思う。
人生の意味は自分で見つけるもの

ナチス収容所での体験を描いた『夜と霧』の著者ビクトル・フランクルは以下のように言っている。
人生に意味を問うてはならない。私たちは人生から意味を問われている存在なのだ。生きるとは、日々そして時々刻々と問われていることにこたえていくことである。正しい態度や使命によって答える責任を果たすことに他ならない。
同じようなことを、カール・ポパーという有名な哲学者も言っている。
人生の意味とは、われわれが人生の中で見つけたり、あるいは発見できるような何かしら隠されたものではなく、われわれ自身が自らの人生に付与しうるものである。われわれは、自分自身の行為と行動によって、自らの労働によって、自らの活動によって、人生や他の人々や世界に対する自らの態度によって、自分自身の人生を意味あるものとすることができる。
どちらも、生きていく中で自分自身で取り組むべき問題を見つけ、その問題を解くために行動することが大切だと言っている。そして人生で取り組む問題はひとりひとりみんな違っている。なぜなら、生まれ持ったものや状況など、与えられた条件がみんな違っているからだ。だから他人に人生の意味を聞いても意味がないし、自分の手で見つけ出すしかないんだ。
人生の意味なんてすぐに見つかるものではないから、見つかるまでは悩んだり苦しかったりするだろう。でもそれは自由の代償でもあるんだ。昔のように、生まれたときに将来の職業が決まってしまうような時代であれば、人生の意味に思い悩むこともなかったはずだ。何をするべきかは社会によって決められてしまっていたんだからね。でも今は努力次第でいろいろな職業に就くことができるし、何者にでもなれる。そういった自由の代償として、自分が本当にするべきことという「人生の意味」を自分で見つけないといけなくなってしまった。でも社会制度によって生き方を強制される世の中よりも、自由な生き方ができる世の中のほうが父さんはいいと思う。
さいごに

最初から将来を見通すことなんてできないし、簡単には人生の意味を見つけ出すことは難しいだろう。そのときそのときで「やりたい!」と強く思うものに挑戦していけば、次第に自分の生きる意味が見つかってくるはずだ。場合によっては「これが人生の意味だ」と思えたものが「やっぱり違った」となるかもしれないけど、それはそれで構わないと思う。人生の意味は1つではなく、固定されたものでもないんだ。時間とともに変わっていくのが自然だし、変化することをネガティブに捉えるんじゃなくて、変化することさえ楽しむことができるようになればいいんじゃないかなと思う。人生は結果ではなく、その過程を楽しむものなんだよ。
今日の話はこれでおしまい。じゃあ、またね。
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