
今日の話のタイトルを見て「“夢を叶えるために”の間違いじゃないの?」と思ったことだろう。でも間違いじゃないよ。今日は「“夢をあきらめるため”には努力をしないといけない」という話をしようと思う。ちなみに今日の話は2000年シドニーオリンピック、2004年アテネオリンピック、2008年北京オリンピックと3大会連続で400mハードル日本代表だった為末大さんの『諦める力』という本をもとにしている。
「あきらめる」にはポジティブな意味もある

「何かを諦める」というと誰もがネガティブな意味に捉えるだろうけど、実は「諦める」ことにはポジティブな意味もある。そもそも諦めるという言葉の語源は「明らめる」という言葉で、自分にとって本当に大切なものを明らかにするという意味があるそうだ。そして諦めることは「自分にとって本当に大切なものを明らかにする」ことでもあるということが重要な点だ。
たとえばプロ野球選手になりたいと思っていた人が、自分の才能では無理なので別の道に進むといった場合を考えてみよう。夢をあきらめるのだから、それ自体は望ましいことではないだろう。でも、それによって別の道を模索するきっかけになり、自分に合った道が見つかったなら、プロ野球選手になりたいという夢をあきらめることは必ずしもネガティブな意味ではなくなる。
この意味で「諦める」とは「選びなおす」ことと言えるかもしれない。自分に合わない分野で頑張っていても、芽が出ることはない。何かに向かって努力することは大切なことだけど、時にはあきらめて他に自分が輝ける分野を探すことも必要になる。新たな道を探すきっかけになるなら「あきらめる」ことにポジティブな意味があることが分かるだろう。
諦めなければ夢が叶うのは才能がある人だけ

誰もが「あんなふうになりたい」と思うような憧れの存在がいる(もしくは、いた)んじゃないだろうか。でも残念ながら、世の中にはどんなに努力しても乗り越えられないことがある。人間は体格や性格、知能など遺伝で多くの部分が決まっているという。たとえばサヤカとシュンがオリンピックで金メダルを獲るのは難しいだろう。父さんも母さんもスポーツがそれほど得意ではないからね。
残酷な話かもしれないけど、大きな夢を叶えることができるのは、才能に恵まれた一握りの人間だけだ。努力して何とかなるものでなければ、ムダな努力を積み重ねるだけになる。世の中には夢や憧れだけで人生を終えてしまう人も多い。だから憧れの存在が自分の延長線上にその存在があるのかを見極めることが必要だ。自分の才能、能力、特徴を生かせる場所を見極めて、そこで努力することが大切なんだ。
挑戦しないとあきらめられない

「才能がある一握りの人間しか成功しない」ということを言うと、やる前から「どうせ俺には無理だ」とか、ちょっとやってすぐに諦めてしまう人が出てくると思うけど、それはただの逃げだ。あることにおいて本当に才能がないかどうかはやってみないと分からない。最初からあきらめた人は、いつまでも「もしあのとき挑戦していたら、こうなったかもしれない」と自分に都合のいい幻想にしがみついて生きることになる。人間はやらなかったことをより強く後悔すると言われているから、そのような思いをもって生きることは不幸だと思う。だから努力してもかなわないことがあるということを納得感をもって理解するために、徹底的に努力する必要があるんだ。精一杯やってそれでもダメだったならあきらめもつくし、新しい道に心置きなく進める。だから先に進むために、努力して挫折することが必要なんだ。
新しい夢はすぐに見つかる

何か夢に破れると、そのときは“人生が終わったような感じ”がするかもしれない。でもそれは“夢”という言葉が意味するものをあまり大げさに考えすぎているからじゃないかと思う。多くの人は「夢とは一生に1つ」のようなものと考えているふしがある。でも夢をそんな大げさに考えないほうがいいと父さんは思うんだ。むしろ誰の人生にも夢は1000個くらいはあると考えていれば、1つの夢が叶わなくても次に挑戦すればいいと気軽に考えることができるだろう。それまで追い求めていた夢をあきらめた直後はそんなふうに思えなくても、少し時間が経てばすぐに別の夢が見つかるものだ。だから、ある1つの夢が叶わないことをそんなに恐れなくていい。
夢を実現する手段はいろいろある

最後に、どうしてもある夢をあきらめられないという場合に、どうしたらいいかを話しておこう。人生をかけて臨んでいたような大きな夢の場合、それをあきらめて全く新しい別の夢・目標に向かうことは心理的に難しいかもしれない。そのようなとき役に立つアドバイスは夢を実現する手段は1つではないということだ。多くの場合、「自分が何者かになりたい」「自分の手で何かを成し遂げたい」と思っているだろう。でも、そこで発想を変えて「自分が直接何者かにならなくてもいいのではないか」「自分はサポート役に回ることで、最終的に目標を達成できるのではないか」と考えてみたらどうだろうか?
たとえば、プロ野球選手になりたいと思っていた人が挫折して、自分が選手になることはあきらめたけど、コーチとして生きる道を選んだとする。一生懸命、指導方法を学んで、教え子を育て、その中からプロ野球選手になる子が現れたならば、ある意味夢を叶えたことにならないだろうか?
別の例で言えば、有名な画家になりたいと思っていた人が、自分の作品がどうしても認められないので画家になることをあきらめ、画商(美術品を販売する業者)になる道を選んだとする。いろいろな人の作品を見る中で、自分の理想とする絵を描ける人が見つかるかもしれない。パトロン(経済的な支援者)としてその理想の絵を描ける人を支援して、その人が将来有名な画家になったならば、その画商は間接的に夢を叶えたことにならないだろうか?
このように最初の夢とは違うけど、全く違うというわけではなく、少しスライドさせた夢を追い求めるというのは悪い方法じゃないと父さんは思う。そして重要な点は、そのスライドをさせ方(追い求め方)はいくつも道があるということだ。最初の例で言えばコーチになるのではなくスカウトになってもいい。2つ目の例で言えば、画商にならなくても絵画教室を開いてもいい。他にもたくさん道はあるはずだ。
大きな夢をあきらめきれないとき「少し夢をスライドさせて、違う夢を追い求めてもいいのではないか」と自問してみよう。必ずしも自分の手で直接叶える必要はないと気づくかもしれない。
まとめ
今日の話で伝えたかったことを別の言い方でまとめると、成功するか失敗するかどうかは気にせず、人生ではやりたいことにいろいろ挑戦してみなさいということだ。成功すればもちろん素晴らしいけど、たとえ失敗してあきらめることになっても、後から振り返れば挑戦したことを素晴らしいと思える日が来るものだよ。「やらなかった後悔をするより、やって失敗したほうがいい」とはよく言われることだけど、本当にそうだと思う。
今日の話これでおしまい。じゃあ、またね。


