
今日は仕事をする理由というタイトルで話をしたいと思う。サヤカとシュンも高校、大学と進んで学校を卒業したら、社会に出て会社で働くことになると思うけど、そのときの心構えとして今日の話を聞いてほしい。
仕事とは
働く理由は何かと聞かれたら多くの人は「お金を稼ぐため」と答えるだろう。お金がなければ食べるものにも住む場所にも困るから「仕方なく働いている」という人もいる。そういった人は「できることなら働きたくない」「遊んで暮らしていたい」と考えるわけだけど、「働く」ということはお金を稼ぐ以上の大切な活動なんだ。
仕事の本質は何かを考える上で、「労働」と「仕事」の違いを考えてみよう。「労働」とは単にお金を稼ぐために働く“苦役”だから、できれば避けたいものだ。それに対して「仕事」とは、それをすることの中に喜びや生きがい、人生の目的を感じられるものだ。「働かないで遊んでいたい」という人が思い浮かべているのは「労働」であって「仕事」ではないということに注意してほしい。「労働」の対義語は「娯楽」なのに対して、「仕事」の対義語は「休息」だと言える。
人は誰でも他人からの承認を必要とする

では働くことに喜びや生きがい、人生の目的を感じるというのはどういうことだろうか?
人間は誰でも、自分以外の誰かに自分の存在を認めてもらいたいと思っている。最近はアドラー心理学というのが流行っていて、他人からの承認欲求を求めてはいけないという話もあるんだけど、1000年山奥で修業した仙人でもなければ他人からの評価を求めない生きる境地に達することは難しいと思う。
人間というのは進化的に見ればサルの仲間で、そもそもが社会的な動物だ。物質的に豊かになった現代社会では、一人で生きていけると勘違いしている人もいるけど、人間は根源的に誰かと関わらないと生きていけない存在なんだ。他人との人間関係を煩わしいと思っている人でさえ、心のどこかでは他人とのつながりを求めているもので、他人から誉められたり認められたらうれしいはずだ。人間は、周りの人との交流を通じて得られる他者からの承認によってしか自分の存在価値を感じられない。だから他人と関わることは根源的な欲求の1つなんだ。
こういうと「自分で自分の価値基準を持っている人は、他人から認められなくても、自分の存在価値を感じられるんじゃないの?」と疑問を持つかもしれない。たしかにそういう人はいると思う。でも、最初からそうだったわけじゃない。最終的に他人の評価に頼らずに精神的に自立することができるにしても、それに至るまでにはどうしても他人から承認されることが必要なんだ。子供のころから誰からも評価されなかった人間はひねくれてしまって、健全な心を持つことはないだろうと思う。自分で自分を認められるようになるために、まず他人からの承認が必要なんだ。
他人からの評価に依存してしまって、何でもかんでも他人から認められようとしたり、他人の目を気にして生きることは生きづらいことだから、アドラー心理学では承認欲求を求めるべきではないと言われている。だけど、他人からの評価を求めつつも、自分独自の価値基準を持つようになるのが現実的なんじゃないかなと父さんは思っている。
仕事は自分の存在意義を確認するための活動

他者から承認されるためには何らかの形で他者と関わる必要がある。その1つの形が「仕事」なんだ。「働く」とは「傍(はた)にいる人を楽にすること」だと言われる。それが本当の語源なのか、単なるレトリック(洒落た言い回し)なのかは分からないけど、自分が働くことで世の中の誰かが恩恵を受けることは確かだと思う。たとえそれがどんなに小さな恩恵だったとしてもね。仕事があるということは、それを必要としている誰かがいて、その労働に対価を払ってくれるから成立しているんだ。複雑になった現代社会では、自分の仕事に対して、直接お礼を言われる機会は少ないかもしれないから、仕事をする意義が見失われがちなんだけど、これは紛れもない真実だと思う。
だから「なぜ働ないといけないのか?」という疑問に対する答えは、自分の存在意義を確認するためと言えると父さんは思う。働くということは、どこかで知らない誰かとつながることでもある。そのことに気付けば、どんな仕事でもそれをすることを通して自分の存在意義を感じられるんじゃないかな。
でもブラック企業など、選んだ仕事(会社)に問題があれば、自分の存在意義を確認する前に自分が潰れてしまうこともある。だから仕事選びはとても大切だ。幸せになるための仕事選びについては次回、話そうと思う。
今日の話はこれでおしまい。じゃあ、またね。
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